ノムさん Hobo-30

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医師は時々、救われた生命(いのち)と失われた生命のどちらからより多くのことを学ぶことができるのだろうかと自問します。生命の喪失について、多くの人は肉親、祖父母や両親の死を通じてそれを乗り越えるための術を学ぶのだと思いますが、親に先立って死に直面するような様な病や事故、戦争に立ち向かわねばならなくなった人は、そういった学びの機会をもてないままにいきなり自己の死と向き合うことを強いられるわけで、その煩悶を乗り越えることは並大抵のものではないと思います。そこには、言葉には出さないものの'どうして自分が・・'というような順序通りにいかないことへの理不尽さに対する深い悲しみが内包されているように感じます。そういう時に、この順序は、いったい神があらかじめ与えたもうたものなのか、そしてこの順序を入れ替えることは許されないものなのかと問いかけてしまうことは、人の心の自然な摂理だと思います。それを宗教心と呼んでいいものかどうかわかりませんが、少なくともこの地球に生きている生命は、古細菌から脊椎動物にいたるまですべて太古の昔より連綿とつなっがていて、これからもつながっていく、つなげていかねばならないと感じます。 ノムさん

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