2012年3月アーカイブ

和歌山_final

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IDcard_TiePIN.jpg今日、Hop week 13th.が終わった。つまり無事和歌山でのフェローを終了。和歌山県立医大の皆さん、関連病院のお世話になった皆さんと奈良医大のスタッフ関係各位に深謝。終わってみればあっという間であるが、いろいろな意味でこれ以上なく有意義に過ごせたと思う。せかされないとなにもできない性分なのか、テンションの高さを自分自身が欲するのか。今後はこの投資に見合う還元を果たすべく本拠地において活動する予定。引き続きみなさんのご支援やご指導を仰げればと、今日はめずらしくMaker's Markの助けを借りて振り返り、明日を考える。

タイピンもらってうれしいSpine Surgeon SLIM.

和歌山_8

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富田林病院のスタッフのご厚意で外来終了後直ちに和歌山に戻り本日最後の腰部脊柱管狭窄症の内視鏡手術を見学できた。無理を押しつけて申し訳ないと思う。さらに明日は奈良医大病院に戻ってリウマチ性頸椎症のlong fusionが待っている。3月末まで紀州藩あずかりなどといいつつオペを入れるのは6件目である。和歌山県立医大のスタッフにもはなはだ申し訳ない。

脊椎外科におけるinstrumetationはほぼ必須の手技となって久しい。他の領域の内固定材料と同様、その恩恵は計り知れないが、ときに『武器』と表現されるがごとく、一つ扱いを誤れば人体に害を加えることとなりうる。instrumentationの功罪と題した特集が組まれる所以である。加えて功利が絡む。多くはまともな神経をもったsurgeonが熟慮の末適応を決めていると思うが、もしこうしなさい的なルールができたとしても、そんなものはお構いなし群も存続可能だろう。

nukeと一緒か、イヤイヤnukeは誰が持っていても良くはないよな Spine Surgeion SLIM

ジェームス・ワトソンにかぶれていた高校生の頃、「家族など研究生活にとって邪魔にしかならない」という彼の言葉に妙に共感を覚え、当時はアルチュール・ランボーにもかぶれていたので、「確かに家族の存在は自分を縛り付けることにしかならない」と思ったりもしたものだが、振り返ってみると人生の記憶の95%以上は家族とのものであることに気づく。季節の変わり目の風の香りの変化をふと感じたときに、自分が幼かったときの、あるいは子供たちがまだ幼かった頃の家族の情景が眼前に浮かんでくることがある。学会でいろいろな土地を訪れても、今思い出すのはやはり家族とともに訪れた土地の方である。記憶を共有できることの幸福を感謝しなくちゃならないと切実に思う。

米国での研究生活から帰国し、市中病院での勤務を経て大学に戻り、初めて主治医として受け持った患者さんは、20代半ば、まさしく前回触れたAYA世代の骨盤腫瘍の女性だった。腫瘍が巨大なため外科切除は不可、かといってほかに選択肢は?というような状態で、ご両親は、当然のことながら藁をもすがるような思いで、大阪の大学での治療を希望された。しかしながら、返ってきた返答は'お手上げ'というもので、言葉が極めて不適切であることをお許し願えれば自分は以後の'敗戦処理'を担うことになったのである。彼女は、非常に聡明な女性で、周りの人間に対する気遣いも並はずれていて、3年半にわたる闘病生活の中で決して自己の人生に対する不平や不満を少なくとも私の前で吐露するようなことは決してなかった。そんな彼女に無力感にさいなまれる自分は幾度励まされただろう(ちょうど自信を失いかけた私たちに、日本人の誇りを思い出させてくれた東北の人たちのごとく)。このような場合、家族あるいは看護師などに対しいらだちをぶつけたりすることも多いが、彼女にはそのようなこともなかったようである。彼女が亡くなった後、お母さまからいただいた手紙には、「人間の強さ、優しさ、思いやりを学ぶことができた。そういう機会を与えてくれた娘にはとても感謝している」と記してあった。自分も全く同じ思いでいただけに、ご家族と彼女の記憶を共有できることにとても感謝している。そして彼女の存在が、医師としての自分から'敗戦処理'という言葉を全く消し去り、臨床医としての原点になっていると感じる。

家族の記憶は、次の世代、またその次の世代へと受け継がれてゆき、故郷が形成され、国というものも形作られていく。それが人の営みなのだろうと思う。愚呑坊

和歌山_7

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先進医療センター1.JPG海外に留学して、とくに基礎系で研究生活を送っている人は、一度はこのままそこにとどまって、身を立てようと心が揺らぐらしい(昔読んだ医者向けのなにかの雑誌の記事から)。それはとりもなおさず研究自体が順風満帆で、留学生活が充実しているということであり喜ばしいといえる。しかし実際にそうしない人が圧倒的に多いし、また生き馬の目を抜くような世界でみんながみんな成功するわけもない。発想自体は自然にも感じられ、外に羽ばたくとかいってみればそのように納得できそうではある。しかし所属母体から出向している、派遣されているという見方をすれば話は別である。留学と転職は混同してはいけない。本来はなにか成果をもたらさなければいけない。

和歌山11週目が無事終了。仕上げにかからねば。僕はfruitsをもってかえれるだろうか。

写真は引っ越しした新しい部屋。教授や他の整形医局員と同じ8階に移動。小生のデスクは当然本などなくすっきりだが、ネットブックや周辺機器は活躍している。

Spine Surgeon SLIM

いよいよ鶯の鳴き声も大きくなり、球春も近づいてきた。入学、進級の季節であるが、東大は国際化という旗振りの元、秋入学を推進しようと鼻息が荒い。ただ、医学部のように国家資格試験を要する分野では、なかなか抵抗感が強いように思う。それ以前に、桜の季節が、新しい生活の始まりとしみついている感覚は、そう簡単に払拭できそうにも思えない。それに高校卒業後の半年間のギャップ・タームをどのように過ごすか、場合によっては親の負担が増えるだけで、ただでさえ裕福な子弟しか進学しにくくなっている難関校の子供たちだけの制度になるのではという危惧もでてくる。オーストラリアの大学院を経験したが、2-6月と9-1月のセメスターだったので、これに合わせるにはいっそセンター試験を12月の初めに施行し、1月中に二次選抜を実施、2月入学として2-6月と9-1月のセメスターにすれば、少なくとも欧米との時期のずれは解消され、留学生の交流も容易になると思われる。これであれば国家資格試験の時期をいじることも不要で効率が良いと思う。

先日、近畿小児がん研究会とがんの子供を守る会の主宰するシンポジウムに参加してきた。その日のテーマはAYA世代のがん患者にも光をというもので、AYA世代、adolescent and young adultsとはおおよそ15歳から30歳前後までの世代を指す。小児のがんは、慢性特定疾患として公的に治療費の補助を得ることができ、30-40歳代以上になると個人的ながん保険に加入している人も増えてある程度治療費の補助を受けることができる人が多いが、AYA世代の人はちょうどその狭間に属するため公的補助も個人的な保険も受け取れない人が多く、 医療費負担が思いのほか大きい。特にさまざまな高額の医薬品が出てきている分野では途方もない負担になることもある。さらに学校や仕事に大きな犠牲を払う必要がある。整形外科領域の患者さんは、まさしくこの世代の方が多く、何らかの方策が向後必要になるかもしれないと感じる。愚呑坊