ノムさん酩酊-61

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ジェームス・ワトソンにかぶれていた高校生の頃、「家族など研究生活にとって邪魔にしかならない」という彼の言葉に妙に共感を覚え、当時はアルチュール・ランボーにもかぶれていたので、「確かに家族の存在は自分を縛り付けることにしかならない」と思ったりもしたものだが、振り返ってみると人生の記憶の95%以上は家族とのものであることに気づく。季節の変わり目の風の香りの変化をふと感じたときに、自分が幼かったときの、あるいは子供たちがまだ幼かった頃の家族の情景が眼前に浮かんでくることがある。学会でいろいろな土地を訪れても、今思い出すのはやはり家族とともに訪れた土地の方である。記憶を共有できることの幸福を感謝しなくちゃならないと切実に思う。

米国での研究生活から帰国し、市中病院での勤務を経て大学に戻り、初めて主治医として受け持った患者さんは、20代半ば、まさしく前回触れたAYA世代の骨盤腫瘍の女性だった。腫瘍が巨大なため外科切除は不可、かといってほかに選択肢は?というような状態で、ご両親は、当然のことながら藁をもすがるような思いで、大阪の大学での治療を希望された。しかしながら、返ってきた返答は'お手上げ'というもので、言葉が極めて不適切であることをお許し願えれば自分は以後の'敗戦処理'を担うことになったのである。彼女は、非常に聡明な女性で、周りの人間に対する気遣いも並はずれていて、3年半にわたる闘病生活の中で決して自己の人生に対する不平や不満を少なくとも私の前で吐露するようなことは決してなかった。そんな彼女に無力感にさいなまれる自分は幾度励まされただろう(ちょうど自信を失いかけた私たちに、日本人の誇りを思い出させてくれた東北の人たちのごとく)。このような場合、家族あるいは看護師などに対しいらだちをぶつけたりすることも多いが、彼女にはそのようなこともなかったようである。彼女が亡くなった後、お母さまからいただいた手紙には、「人間の強さ、優しさ、思いやりを学ぶことができた。そういう機会を与えてくれた娘にはとても感謝している」と記してあった。自分も全く同じ思いでいただけに、ご家族と彼女の記憶を共有できることにとても感謝している。そして彼女の存在が、医師としての自分から'敗戦処理'という言葉を全く消し去り、臨床医としての原点になっていると感じる。

家族の記憶は、次の世代、またその次の世代へと受け継がれてゆき、故郷が形成され、国というものも形作られていく。それが人の営みなのだろうと思う。愚呑坊

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