2012年4月アーカイブ

先日、櫻花壇という宿に部屋をとり、吉野の桜を愛でに出かけた。吉野の山桜は、ソメイヨシノとは異なり、葉と花がほぼ同時期に芽吹くことを恥ずかしながら初めて知った。(さらに恥を忍んで告白すれば染井吉野という名前ゆえ、吉野の山がその起源で、ここの桜はずっとこの品種で、ここから全国に広がったものだと思い込んでいた。)泊まった部屋は、皇室の方や谷崎潤一郎、小林秀雄など多くの文士が常宿にされていたとのこと、窓からの眺望はまさに一目千本、眼と心が洗われる思いがした。

P1000908.JPGのサムネール画像老化に伴う大きな問題は、脳と運動器の障害であると思う。これらを予防することが、超高齢化社会を迎えるこの国の大きな課題になる(ここで大切なことは、治療ではなく、あくまでも予防である点)。

Harvard大学の脳科学者で、「脳を鍛えるには運動しかない」の著者であるDr.John J. Rateyは、'Harvard on the move'(ハーヴァード大学のすべての人に運動を)というプログラムを展開しているとのこと。有酸素運動が、脳を活性化し、認知症の予防やうつ病の改善にも寄与するという。さらに骨粗鬆症やsarcopeniaの予防という付加効果もついてくる。確かに、運動をして汗をかくと、ストレスも発散できるし、何よりも食事が美味しくなる。

また、Kenny Rogers Effectといって音楽が脳卒中治療に有効であることが示唆されている。昨年、コロラドで頭部を銃撃されたGabrielle Giffords議員は、音楽療法で会話力を取り戻したとのことで、音楽は脳の複数の部分に働きかけ、神経を伝達する道筋に深い部分で関わることにより、人が頭の中に保存した情報を取り出す手助けをする効果があるとされている。さらに、絵画を観ることも脳を刺激することに大きく寄与しているとされている。

その昔、農耕のみが労働であった頃、そこには必ず歌が伴なわれていた。そして、ヒトは洞窟の壁などにさまざまな絵を描いてきた。農耕が運動で、歌は音楽そのものであるから、ヒトがヒトになった瞬間から、運動と音楽と絵画は、人間の生活と根源的に結びついているように思われる。そうやって考えると、学校教育における体育、音楽、美術の重要性を見直さないといけないのかなとも思う。

さあ、今日はギターをかき鳴らし、明日はコナミに出かけよう。愚呑坊

それにしても、あの廃墟と化した大学北側のビルヂングの壁面に書かれた'宴会5名様から500名様まで承ります'という消えかけたキャッチコピーには思わず吹き出してしまう。その差100倍にわたる宴会場って、いったいどんなだったか、何度も行ったことがあるのに今一つ思い出せない。

義務教育での柔道必修化に伴う議論が世を賑わせている。確かにTVでみる教員の受け身を見ているととても心もとない。世の親御さんたちが不安になるのも当たり前である。これに関しては、自分にも経験がある。中学での体育の先生は、柔道が専門で当然ながら授業に柔道を取り入れられていた。ただ、どこかの誰かが昨今の議論と同様、先生が専門家であるにも関わらず安全性を問題視し、最後は寝技のみとなった。お互いに足を延ばして背中を合わせて座り、ヨーイドンで寝技で組み合う。横四方、縦四方、袈裟固めなど寝技を繰り出して勝負を競うという形だった。それはそれで楽しかったが、やっぱり投げがないと・・・と思ったものだ。その先生は、倉庫のカギを野球のバットのグリップのところを切ったものに穴をあけてそこに結び付けて持っておられた。ある日の授業で皆がだらだらしていると、怒ったその先生は生徒を並べて尻を出させ、そのグリップエンドでいわゆる'穴パン'を見舞われた。家に帰って鏡を見ると見事にバットのグリップエンドの形がケツに印字されていて、親にそれを見せると'尻は一番安全やからなあ'の一言で済まされた。中学生の自分も確かにそうだと思い、先生の愛を感じた。僕はその先生が大好きだった。だけど今の時代だと、その先生は懲戒免職なのかなあ?

医師にとっての幸福とは何か?それにはいろいろな解釈があるかも知れないが、'患者さんに恵まれる'という一点に尽きると感じる。教師が生徒に恵まれるように。 愚呑坊